MASH-ROOM Magazine

邦楽ロックのWebマガジン的なソレです。

おっさんが「若い子の音楽わかんないw」と嘲笑するのがムカつくので冷静に分析してみた

僕がめちゃめちゃ嫌いなものがあるんです。

「最近の若い子の音楽わかんないw」っていうおっさん。

いるよね〜いるいる。飲み屋とかで平気で言われる。そして長々と昔は良かった話をされる。YouTubeであとで聞いてやるから武勇伝までは言わなくていい。帰ってiPhone割って黒電話使ってろな。

このブログで敵は作りたくないからあまりヘイトに溢れる文章を書きたくなかったのだが…これにはちゃんと言いたいことがあって。

 

歴史というのは案外素直なもので、音楽においてもそれは当てはまる。

食べ物を漬けるという文化があるから明太子が生まれて、明太子スパゲティができたのと一緒で、明太子スパゲティだけいきなり世に現れたわけじゃないのはわかるだろう。明太子も明太子スパゲティもどっちも美味しいでいいのに。

音楽も、”昔の”音楽があるから、”若い子の”音楽が生まれていて決してかけ離れたものではなく、地続きだしそんなに理解しがたいものではないと思うのだ。

まあ「理解できない」だけならまだいいんだけど、「理解できない」という自分の無力さを”若い子側”のせいにするのはちゃんちゃらおかしいと思うのだ。

「明太子をスパゲティに入れるのよくわからない。入れた人の発想がやっぱりわかってないよね〜w」て言うのはおかしい。「自分の舌が時代に追いつかなくなった。悲しい」というのが恥ずかしくて人のせいにしてるだけじゃないか。加齢を盾にして文化の進化を否定するのはやはりいただけない。

 

と、ここまでは完全にヘイトで書きました。該当した皆さんすみません。”おっさん”という存在自体は僕は愛くるしいと思います。これからは自分の加齢を恥じず、人のせいにするのをやめてください。

 

僕は僕で、理解できない音楽と出会った場合、「なぜ気に入らないのか」を分析しようとする。

ここで思いとどまった。

「最近の音楽は〜w」と嘲笑するおっさんたちは、なぜ気に入らないのだろうか。

それを分析してみようと思う。

今日の議題は「おっさんが若い子の音楽を聴けない理由はなぜか」だ。

 

 

ダンスビート説

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僕もリアルタイムで経験したわけではないが、実家にあるLPレコードを聴き漁ったところから音楽人生が始まり、今でも好きなバンドのルーツの、さらにそのルーツ、という風に探っていくことがあるので全く昔の音楽を知らないというわけではない、という設定で話を進ませてもらう。

一度、アコギ弾き語りライブで、ワインレッドの心と中森明菜の北ウィングを歌って年齢の印象をぐちゃぐちゃにしたことがある。そのくらいだと思ってくれればいいかな。

 

自分の音楽ボキャブラリーから”昔の”と思われる曲をいくつか思い出してみて、感じたのがビートの薄さやタメ具合だ。

なんて言えばいいだろう。”疾走してなさ”だろうか。

全体としてモッタリとしたビートを作るような傾向がある。そこがムーディーであり強みであると僕は思う。

これはフォークソング時代からの流れで、そもそも楽曲にハッキリとドラムの重要性がなく、メロディーと伴奏がメインだったからできた文化だと考えられる。

1980年代後半から90年代中期ころまでのバブルでようやく「ダンスミュージック」がディスコを中心に広まったということで、それ以前の音楽を愛好していた場合そもそも「(早い)ダンスミュージックが相容れない」ということが起こりうる。

 

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そう考えるとGetWildもなるほど、シンセですらリズムを刻んでいるし、ビートがあるからこその曲の展開も伺える。これでも古いもんは古いけど。

ダンスミュージックや早い音楽が相容れないおっさんは「若い子の音楽」など括らずに「メロディー先行の音楽ばかり聞いていたのでドラムやビートが強い音楽はちょっと…」と言えばいい。そしたら人のせいにはなってない。解決。

女の子がチャラチャラしてる説

 

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これも言われた。ってか俺のお父さんが言ってた。

言っちゃえば軟派。軽薄なものという分類になり嫌悪感があるのだろう。

ぶっちゃけ「男尊女卑なだけでは?」というそれこそ昔の感覚で語ってるだけかもしれないけど、これだって研究してみると不思議なことがある。

 

現在の”多人数女性アイドル”の型を作ったAKB48を見てみよう。

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そりゃ若いおなごが肌バッシバシに露出して踊り狂ってたら軟派だと思う。

というか、もう此処らへんのAKB48は「今のJ POP」でありさらには「AKBが作ってきたアイドルJ POP」という分類になる。これは正当な進化の末の結果である。

これは先程の欅坂46と同じ歴史の末端。女性アイドルソングの進化の末にこうなった。

もう少しAKBを遡っていくと見えるものがある。

ここから例えば、機材的な進化(一度に使えるマイクの本数、MIXの行程)、使える楽器の進化、聴衆の限定(世に広まったあとだからポップな歌が多くなった、広まる前は自由に作っていた)を逆に退化させてAKB48初期までいってみよう。

 

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最初期まで行くと完全にまるわかりだ。完全にこれはおニャン子

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比べてみるとマジそれ。ここで”昭和アイドル”と”平成アイドル”が地続きになっている、というのは実感いただけただろうか。

さらには

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ここまでいくと、やはりその時代に流行っていた空気感というものが共通しているのだろうか。

単体の女性シンガーも団体の女性アイドルもハッキリと名言できる違いというのは人数くらいになる。(似てるとか曲のキーとかではなく、雰囲気の話ということを理解してもらいたい)

 

驚くことに現代の女性アイドルを否定する人(というか俺のお父さん)は、昔の女性シンガー、アイドルは気に入ってたりする。

つまりただ単に、本当に素直に「女性シンガーの進化っぷりに耳が追いついてない」「自分が不勉強で見た目以上の情報を手に入れようとしない」というのが理由なのではなかろうか。

なのでこのタイプの場合は、「最近の若い女の子がチャラチャラしすぎて聴けない」ではなく「自分が不勉強で進化に追いつけない」と説明するべきなのだ。

 

歌詞のメッセージ性説

ここで僕の好きなフォークソングの歌詞を紹介しよう。

東一番丁、ブラザー軒
硝子簾がキラキラ波うち、
あたりいちめん
氷を噛む音。

死んだおやじが入って来る。
死んだ妹をつれて
氷水喰べに、
ぼくのわきへ。

色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、
びっくりしながら。

細い脛だして
細い脛だして
椅子にずり上がる
椅子にずり上がる

外は濃藍色のたなばたの夜。
肥ったおやじは小さい妹をながめ、
満足気に氷を噛み、
ひげを拭く。

妹は匙ですくう
白い氷のかけら。
ぼくも噛む
白い氷のかけら。

ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
おやじはひげを拭く。
妹は氷をこぼす。

簾はキラキラ、
風鈴の音、
あたりいちめん
氷を噛む音。

死者ふたり、つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹がさきに立ち、
おやじはゆったりと。

ふたりには声がない。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
ふたりにはぼくが見えない。

東一番丁、ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の、向うの闇に

 

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97年リリースの「ブラザー軒」という曲。

死んだお父さんと妹の思い出(霊?)と一緒にブラザー軒という店でかき氷を食べる歌。

曲を聞いてもらうとわかるんだけど、優しい歌でとても素敵なんだ〜…

さて、ここで死んでいる父と妹なのだが、父は戦争で死に、妹は病死なのだという。

これは時代背景が色濃く出ている。戦争で死ぬのもそうだし、病死もおそらくその時代の医療は進んでいなくて今だと治るような病気で死んでしまったのだろう。

その背景があると、なぜこの曲が悲痛の歌ではなく、こんなに優しく語りかけるかのように歌うのかがなんとなくわかる。

その時代では「仕方がない事」になっているのだ。その2つの死は。

戦争に行くことを選ばれた時点で死ぬことはほぼ確定、病気だってかかったら死ぬ確率は高かっただろう。もうすでに歌詞中の”ぼく”は父と妹が死ぬ以前に諦めや心の整理がついていた。そして死んだ後今はもう懐かしみのムードに入っている。

死の歌だって、”懐かしみ”を生み出せるというのが時代背景にあるという感じだろうか。

今だったら、戦争に選ばれて死んだら、「戦争に行かない」「行っても技術云々で死ぬとは限らない」などの可能性があるためそれすらもくぐり抜けて死んだことに、より「なんでなんだよ!ちくしょー!」になるのではないだろうか。

 

そこまでのメッセージ性を、ドラマを産むことができるのは確かにこの時代でしか成し得ないことだろう。

 

対して

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ワオ!

現代の歌の例としてナオトさんを出しましたが、個人的にはナオトさんは僕は嫌い。

薄すぎませんか?さっきの歌詞解説の後ならなおさら。

「輝く未来のために進もう」の根拠ゼロ。「輝く」「未来の」この2つの確実性なし。

「払われるかもわからん年金のために今日も働こう」これなら確実性バッチリなのに。

「応援歌が当たり障りのないものになっている」という意見があったので、例に出してみたんですが、たしかにこれに関しては反論なし。

なぜなら全員がある1つに対して向かってないからだと思います。

政府、社会、親…生まれ落ちた人間なら確実に生きて対抗するべき相手に歌ってたフォークソングが今では敵が多すぎて1つに絞れないから、「(とりあえず何かに)負けるな」くらいまで端折ってるんですよ。尾崎豊はハッキリと親と学校に喧嘩売ってたけど、今は学校に喧嘩売る必要がないし、売ったところでその先泥沼なだけだし。ただ、恋愛、受験、仕事その他諸々…どれかに当てはまるように”がんばれ””進め”がチョイスされてるというのは実感します。

 

でも一応、判例として、時代背景に沿って明確な反抗歌や応援歌を歌ってる人に大森靖子を上げます。

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彼女が戦ってるのは”現代の普通が良いとされてる日本”であるだろうし、応援してるのは”普通じゃないと言われてる女の子”なので、ナオトさんみたいな当たり障りのない単語を並べただけでもないし、時代的にもピッタリといえます。彼女はちゃんと現代の歌詞を書いていて、例えば宇多田ヒカルは「7回目のベルで受話器を」と歌ったけど、今の人は電話じゃなくてLINEでやりとりするからLINEの歌をしたりだとか。時代背景が完全に今。

大森靖子「音楽を捨てよ、そして音楽へ」at ARABAKI ROCK FEST.16 - YouTube

「音楽は魔法ではない」で騒動になった(詳しくはぐぐってね)この曲だって生々しさと切なさが全開。

身体検査の前の日に
下剤を呑んで軽くなって
ピョンピョン跳ねたらイジメにあった
たのしそうなやつムカつくんやって

 

よく考えたらそうだ、その時代にはメインとなる若者が生きてきて、その時代の人に一番響くように作られている。

だからおっさんの「若い子の歌の歌詞はわかんなくてね〜wメッセージ性ないし」は残念ながら「そりゃそうだ」しか言えない。メッセージを伝える人が違えば手段も違ってくる。逆を言えばおっさんは「この(現代の楽曲の)歌詞がわかんないなんてただのジジイだ」と言い返されても文句は言えない。これは表裏一体だと思う。

もし「わかんないね〜w青い青い」なんて言われたら互いに歩み寄ってみるのも手なんじゃないか。「こっちもわかんないんでどういうことか互いに説明ごっこしましょう!」なんてなったらどっちの知見も広まるので素敵。

一番は歩み寄ることだろうね。全員国語の勉強をしよう。

 

語彙力に関しては、ぶっちゃけどっちもどっち。

「およげたいやきくん」だって「だんご3兄弟」だって語彙は少ないし、ただ単に”聞いてる音楽の違い”だけだと思われる。

 

結論

今の音楽だっていいし、昔の音楽もいいので歩み寄ればいいのでは?

LINEを使ったことないおっさんにLINEのつらさを歌ってもわからないし、戦争を知らない子供に戦争の過酷さを説明してもわからないのは当たり前。

 

大変長くなりましたが、おっさんの文化をみることで、若い子の文化をみることで感覚が違うのは当たり前。¥

互いの好きな音楽をじっくり研究してどっちもわかろうじゃないか。

 

そうすると聞き方もかわるんじゃないでしょうか。